経県値マップ

47都道府県を全制覇する旅

001-2_福岡県/新春☆日本号おじさん捕獲大作戦(長谷部もいるよ)

あけまして、2016年でございます。
今年もあちこち旅に出る予定ですので、おつきあいのほどよろしくお願いいたします。

さて。
6年目の経県値マップですが。
再びの福岡県でございます。まさか今回のようなネタで2回目を行くことになるとは、あのころは思いもしなかったでしょうね。
というわけで、今回も刀剣修学旅行〜古代もあるよ? でございます。*1
にほおじをめぐる旅なので、スポットを全部書き出します。長いですがおつきあいください。

さて。
なぜ福岡県? かといいますと。
福岡市博物館にて、国宝である刀「へし切長谷部」が公開+日本号が展示されているということで、それならまとめて見に行ってみようと言う訳なのです。
まさか、あんなことになろうとは……思わずに……げふっ。*2

朝5時……地元駅を出発。*3
6時の新幹線で、福岡に向かいます。
というか、石川に行ったときも思ったけど。6時代の新幹線って、なんでこだまオンリーなんでしょうね……??
普通にのぞみあったら、もう1時間起きるの遅くても大丈夫なのに……


あ、もちろんICカード縛りも達成しましたよ?! はやかけんゲットだぜ!!*4

なぜこんなに早いかというと。
開館前の列に並ぼうと思ったからです。
展示は1月5日からスタートしていたのですが、初日200人来館者が来て、2時間待ちになったとかなんとかいう情報が流れてきたのです。
にほおじ*5 スポットを効率よく回るためには、博物館で2時間は痛いロスだ……と思いましてな。

ま。列に関しては一悶着あったのですが……
なんとか、6番目に入場することができました。


ここで何故、へし切長谷部日本号福岡市博物館で一緒に展示されているかを書いておきますと。

その昔、黒田長政関ヶ原の戦功で筑前の一国を得た際、新しい城と城下町を建設し「福岡」と名付けました。*6
元々あった商業の町「博多」と、城下町「福岡」は、双子都市として発展していった……そうです。
この黒田長政織田信長から羽柴秀吉を経て下賜されたのが、へし切長谷部です。*7
その黒田氏の家臣で、「黒田二十四騎」の一人、槍の使い手であった母里友信福島正則から呑み取った*8 のが、日本号です。
両刀とも、黒田家から「黒田資料」として、福岡市博物館に寄贈されているため、同時公開という粋なことができたわけです。*9

へし切長谷部の由来は、信長が自分へ敵対を働いた観内という茶坊主を成敗した時、膳棚の下に隠れた観内を棚ごと「圧し切」った*10 そのエピソードから。
「刀 金象 銘長谷部国重本阿花押 黒田筑前守(名物へし切)」の名称で、日本の国宝に指定されています。
南北朝時代建武期/1334〜1336頃)、山城国の刀工、長谷部国重作。

日本号(「ひのもとごう」ともいう)は、元来皇室所有物(御物)で、正三位の位を賜ったという伝説を持つ槍で、室町幕府15代将軍・足利義昭に下賜されました。
その後、織田信長を経て、豊臣秀吉に渡り、秀吉より福島正則に与えられ、上記の通り母里家へ渡り、代々の家宝となっています。
もっとも、その後は母里家からすんなり黒田家へ渡ったわけではなく、盗まれたりタダであげたり買い取られたりして、最終的に黒田家へ巡り巡ってきたみたいですが。


さて。
説明が長くなりましたが。
さっそくにほおじと長谷部を見……見……

さとり「ええい、何この長谷氏撮影会?!」

6番目に入れたのは良かったんですが。
すでに長谷部と日本号の大撮影会が始まっていました。
一眼レフみたいなやつで、連写しまくりな人もいれば、スマホでパシャパシャやってる人もいて。
とてもじゃないですが、倶利伽羅竜のつくりや、広島城のレプリカにはなかった柄の部分、実戦で付いた傷なんかを、しげしげと見る雰囲気じゃあありませんでした。
カメラの邪魔にならないようにと配慮してたら、とてもじゃないけど刀に近付けないんです。
私、遠視なのに……(涙)

うーん……カメラ撮影OKなのはありがたいんだけど……
じっくりみれないのは痛いな……

それに、ただでさえ後ろが100人つまってると思ったら、のんびりもしてられなかったです。
仕方ないので、日本号の方だけ、刀傷を探したんですが……
よくわからなかった……

そのうち人口密度のせいか、汗だらだらになってきてしまったので。
仕方なく部屋を離脱しました。
京都国立博物館の時の方が、まだ落ち着いてみれたぞ?
まあ、あの時は平日だったからかもだけど……でもあの時も結構人はいたよな……

写真も、ガラスケースに人影が映り込んで、いうほどきれいにとれなかったし。
一応、そんな写真ですが、貼っておきます。


日本号。柄の彫り物も美しかった……さすがは御物。


ヘし切長谷部。実戦で使ったと思われる傷あり。


さて。
この福岡市博物館は、常設展示もすばらしいのです。
何しろ、あの「漢委奴国王」で有名な(?)金印が展示されてますからね!
もちろん土器や、鉄剣なども展示してあります。


金印は粘土に押すらしいです。うきうきしながら地均しをするさとり……

その他にも、遣唐使の時代の船や黒田資料、明治時代の車やバー、ライオンズのユニフォームなど、まさに福岡の歴史に関するものがたくさん展示されていました。
古代クラスタはここだけで1日過ごせます。


さて。
ここからは「とうらぶ日和」さんの「審神者向け福岡観光プラン2016冬:ヘし切長谷部・日本号を堪能する」プランを利用して進めていきます。
ホントに、時間割まであって、ありがたいプランでした!
ありがとうございます!!


toulovebiyori.blog.fc2.com


というわけで。
博物館から藤崎駅まで歩き。「大助うどん」さんでお昼ご飯をいただきます。



(参考)→http://www.daisukeudon.jp



バスに乗らなくても歩けますよ。道を確認しながらゆっくり歩いて20分くらい。行きも西新駅から歩いたしね。


きつねうどん! 手打ちの麺でした!! 柚子胡椒ってうどんとあうのねぇ……*11


さて。さて。
藤崎駅から赤坂駅まで移動し。今度は福岡城周辺をめぐります。
福岡城といえば、黒田家ですからね。


途中、福岡城堀石垣に立ち寄りつつ……*12


にほおじんち(母里家があったあたり)を散策したりして……


福岡城むかし探訪館へやってきました!!

この「福岡城むかし探訪館」には、ヘし切長谷部のレプリカがかざってあります。
といっても、刀身の展示はなく、拵(鞘、柄、鐔など)が見れるんですけどね。

この「福岡城むかし探訪館」には、ヘし切長谷部のレプリカがかざってあります。
といっても、刀身の展示はなく、拵(鞘、柄、鐔など)が見れるんですけどね。
しかし長谷部の鐔はかっこいいな。「南無妙法蓮華経」ってかいてある。とても豪快。
あと、拵は織田信長だからってわけじゃないんだろうけど、すごく豪華なデザインだなあって思いました。
だって、金なんだぜ? いかにも天下人が持つ刀って感じ。
でもこの拵、「安宅切」の写しらしいけど。

あと、昔の福岡城周辺の地図と今の周辺地図が重ねてあって。
昔はだいぶ海だったんだなぁっていうのがよくわかります。

管理人のおじさんに「どこから来たの? やっぱヘし切長谷部で?」と聞かれ。
思わず「いえ……違います」と答えるさとり。
にほおじメインなの! と心の中で訴えたつもりが。
「じゃあ、城?」と聞かれてしまい。めんどくさくなって、訂正はしませんでした……
めんどくさい子、さとり。ブームに乗ってる人だと思われたくないって、自分でもめんどくさいと思う。


さらにその向かいに、「コウロ館跡」があるので、一緒に立ち寄ります。

コウロ館というのは、古代の迎賓館のようなもので。
ここを拠点に遣唐使遣新羅使を送り出していたようです。


なので、ここは迎賓館の発掘現場、ってわけですな。

唐や新羅から持ち帰った磁器や陶器、当時の人のトイレ(奈良時代の!)の跡などがありました。
さらに、このあたり一体は平和台球場だったわけですが、その跡地もコウロ館だったようで、今も現在進行形で発掘調査が行われています。

ということは、ですよ。
にほおじんちもこの遺跡の上に建っていたわけで。
そんなことも知らずに(たぶん知らないよね?)、のんきに(かどうかは知らないけど)暮らしていたと思うと、ちょっともだもだしますね。私が。

土曜日のお昼時だったので、発掘現場自体は稼働していないようでした。
なので、ただのブルーシートをかけた工事現場にしか見えませんでしたが。
いろんなものが出てくるのかなと思うと、もだもだしますね。私が。


さて。
ここまで来たら、ちょっと寄り道。
とうらぶ日和さんのガイドにはありませんが、ついでに福岡城跡まで行ってきます。
だって、せっかく城まで来たんだし。*13


登るしかない! そこに城があるのなら!

といっても。
天守閣自体は今はありません。
今は、というか、もともとなかったらしいのだけど。
建城当時は作ったが、天下人に遠慮して壊してしまったらしい、という説もあるようです。


そこに城はないけど!! なんとかは上を目指す!!!


あっちに、にほおじがいるのかぁ(たぶん)


さくっと下りて、城を後にします。立派な入口だぜ!


下の橋方面から帰ると、赤坂駅ではなく大濠公園前駅の方が近いので、そちらから地下鉄に乗ります。
続いて、中洲川端駅まで移動。
上川端商店街の中にある「ぜんざい広場」に行きます。
こちらで、「日本一甘い」川端ぜんざいをいただきつつ、博多の祭りである「博多祇園山笠」の飾り山(山車みたいなやつ)と、千代流の「日本号手拭」を見に行きます。


川端ぜんざい広場さん!


派手な飾り山が……!


おもちんまーい!!

こちらは食券制なので、MAX人見知りな自分でも気軽に入ることができました。
お店のおばちゃんも気さくなので、安心していただけました。
日本一甘いかどうかはともかく、疲れた体にはとてもしみる一杯でした!

日本号の手拭いもありましたよ! 山吹っぽい黄色地に、白い穂先のデザインでした。
千代流の山が日本号をモチーフにしていたため、このデザインになったそうです。*14
こうやって手拭いになっているおじさんをみると、生活にとけ込むくらい自然な存在なんだなぁとあらためて思いました。
黒田節のせいかもしれんけどね!(笑)

ちなみに、お店の奥にでっかいシャッターがあって。これ、お祭りの時にはふつうに出して走らせるんだとわかってちょっと嬉しくなりました。


さらに商店街を進み。今度は櫛田神社に行きます。


商店街のはずれに、いきなりあります。

そういえば、今年はまだ初詣に行っていなかったので。
ここが初詣になります。


御祭神は、天照皇大神、大幡主大神、素サ鳴大神。

まずはお参りと思ったら、いきなり大渋滞!
私と同じく、初詣の人がけっこういたようです。


そして、なんといっても目を引くのは山笠!

「呑取名槍黒田誉」というテーマ(?)というか札がかけられていまして。
もちろん、にほおじと母里友信のエピソードがテーマですね。
こうしてみると、槍をもって戦う武士もかっこいいな……山車みたいな派手な飾り付けにも生えますしね。

その後、併設の博多歴史館にも行きました。
山笠や、祭典に関する書や朱印状、琵琶や太鼓、印など、奉納されたものが展示されているのですが。
刀剣もいくつかありました。
私の目を引いたのは「剣」でした。
日本刀じゃなくて、剣。しかも、江戸時代作。
たぶん、祭事に使われたんだと思うんですけど、詳細はよくわかりませんでした……
刀のデザインは古代のものとほぼ変わってないんだろうなぁと思います。
ワンポイントの彫り物もかっこよかった。裏も彫り物があると書いてあったので、見たかった……


さて。とうらぶ日和さまのガイドはここでおしまいです。
が。この時点で15:20。
もう1カ所くらい、名所を見て回りたい。
そして、できれば5分で終わった日本号と長谷部を、もう一度しげしげとみたい……!
というか、母里友信日本号を持ってる銅像があるんだけど、見に行きたいんだよね……ガイドのルートにはなく、番外編になってて、山の上にあるって書いてあるけど。

さとり「いっちゃう? いっちゃうか??」

帰りの新幹線と、福岡市博物館の閉館時間を逆算して、移動時間を検索してみると。なんとかいけそう。

さとり「行くか!」

幸い。この近くのバス停から、銅像のある「光雲神社」の近くまでいけるバスが出てる。
スマホの電池死にそうだけど! 死んだら帰れなくなるけど!!
行かずに公開するなら、迷子になってトラブルになるのもまた一興!!


というわけで。バスに飛び乗りました。

ここはどこ。私は誰。
一応、電池が切れてもいいようにスクリーンショットとったけど。現在地を見失ったら最後だぜ……
と、住宅地の中を歩いていきましたら。


ありました! 光雲神社!!

山の中と書いてありましたが、そんなには登りませんでした。
ええ、京都伏見稲荷神社に比べたら、こんなの足下にもおよびませんわ?!(笑)


黒田如水と長政親子を祭る神社です。幸運の神社……らしい。

社号は、ふたりの法名龍光院」と「興雲院」からとったもので、六代藩主黒田継高のときに、福岡城内に祭ったのが始まりとされているそうです。


とりあえずご挨拶と思ってお賽銭を投げたら、どこからともなく鶴の声が……

どうやら、賽銭箱になにやらしかけがあるようです。
みんなが賽銭を投げるたびに鳴くのでちょっとおもしろかった。静かな神社にひびく鳴き声(笑)


そして、ありました! 母里友信日本号の像!!

かっこいいな……馬乗りの日本号もいいけど、普段使いの日本号も……良い。
にほおじかっこいいしか言ってないけど。日本号、ほんとにしゅっとしててかっこいい。にほおじはいいぞ。

さて。
さらに、福岡市博物館を目指します。
博物館入り口のあったあの大通りがそのまま、光雲神社の裏側まで通ってるんだけど……
問題は、そこまで山を歩かないといけないってことなんだよね……


これ、どう見ても山の中つっきってますけど……!


公園の地図と照らし合わせたら、どうやら西側入口から出れば良いもよー。

時間もない。公園の中をつっきるしかないか。
そう思って歩き出したのはいいんだけど。山すぎて、地図上のどこを歩いているのか見当もつかない……
適当に歩いていたら、西側展望公園の端っこまで来ていました。


け、決してかわいい子につられたとかじゃないんだからね?!(つられたらしい)


この旅初めての海が……!

さらに山の中を歩くと、無事西側入口にたどりつきました。よかったー。
バス停は麓のホテルの目の前でした。
ダイヤの時間までは10分くらいあったのですが、バスはすぐにきました。
どうやらダイヤがみだれていたもよー。*15

スマホの電池もまだ残っていたようで。良かった良かった。
バスの中でTwitterを確認したら、福岡市博物館公式より、今日はまだ列がはけてなくて、今から来ても見られないかもとの案内が……



ま、でも、行くだけ行ってみようと。
バスを降りて博物館へ行ってみたのですが。
やっぱりというかなんというか。列は朝の状態のまま変わっていなくて。
まだ見ていない人の機会を奪うのもなんだし、今更ながら足が痛くなってきて、泣く泣くあきらめたのでした。


こうして。私のにほおじと長谷部をめぐる旅は終わりました。
長谷部は毎年冬に公開されるらしいので、機会があればもう一度行きたいです。
それか、にほおじだけでもいい。にほおじの柄がじっくりみれなかったのほんとに残念なんだけど。
ま、仕方ないよね。ブームだしね。
というか、高校生とか大学生とか、若い子多かったけど、数年後もちゃんと興味を持ってくれてるのかなともちょっと思う。
かくいう私も「武器」というくくりでしか、認識してなかったのは認めますけど……


さとり「あーっ! にほおじどらやき買うの忘れた!!」


やっぱり、再訪する必要があるようです。

*1:さとりかなは古代クラスタ

*2:ブームだからね

*3:本当は宿泊しようかと思ったのですが。思い立ちすぎたので、宿がとれませんでした……

*4:福岡3種達成!!

*5:日本号のあだ名

*6:ちなみにこの「福岡」は、昔岡山県長船町にあった「福岡の市」から取られています。黒田の先祖がこの福岡の出身なんだそうです

*7:諸説有り。中国攻めを提言した黒田孝高へ信長から与えられた、という説もある。

*8:ウィキペディアさんによると……京都伏見城に滞在中の福島正則の元へ、黒田長政の使者として使わされた友信が、酒を勧められたけれど、一応使者なので断った。「飲み干せたならば好きな褒美を取らす」「黒田武士は酒に弱い、酔えば何の役にも立たない」と煽られてカチーンときた友信が、大杯数杯を一気に飲み干した。褒美を取らすって言ったから、秀吉からもらった日本号をくれよ、で、もらったらしい……

*9:日本号は常設展示されている

*10:刀身を押し当てて切ること。斬殺したらしい。

*11:人気メニューの「ごぼう天うどん」でも「どんちゃん」でもなくきつねうどんなのは、うどん=きつね1択だからです

*12:道路の下なのでびっくりしました!

*13:私もだいぶ秋穂先輩に毒されてきたようです

*14:手拭いは関係者のみの配布だそうです。

*15:とうらぶ日和さんのガイドは地下鉄オンリーでしたが、正しい選択ですね。キャナルシティ付近とか駅付近とか、道が渋滞しまくってて、ダイヤ乱れまくりでしたからね……