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47都道府県を全制覇する旅

023_奈良県/春の刀剣祭☆その2 YSJふたたび 〜仏教と刀展、噂の刀展(2泊3日)

さてさて。
YSJ(薬師寺)にて、大倶利伽羅のあまりの大人気ぶりに圧倒して、本来の目的であった「仏教と刀展」「噂の刀展」が、見応えあったのに、駆け足スルーになってしまったことを大変悔やんださとりかな。
この日は雨予報だったこともあり、薬師寺さんへ再訪することにしました。



実は薬師寺も……世界遺産です*1


つはものどもが、ゆめのあと……朝9時ですよ。


■□■□ ワンポイント情報 ■□■□

2016/4/2の日付の入った入山チケットをお持ちの方で、

  • 特別展1(大宝蔵殿・聚寶館)拝観券
  • 特別展2(西塔)拝観券
  • 玄奘三蔵院伽藍 拝観券

の半券がついたままの方は、2016/5/8までなら、再入場が可能です。
見れなかったからもう一度行きたい! って方は、是非再訪をオススメします!!
※ただし、さとりのように、「仏教と刀展(特別展1)に行ったけど、よくわかんなかったからもう一度行きたい!」という方は、通常の入山料が必要になりますので、お間違えなく……*2


この券ですね。三角の部分が必要ですので、切り離さないように……!

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さとりは、
『特別展2(西塔)拝観券』と『玄奘三蔵院伽藍 拝観券』が残っていたので、まずは玄奘三蔵院伽藍に向かいました。


この中に、玄奘三蔵の像が。

中を見た瞬間、
「あ、ここ、来たことあるな!」
という記憶が、脳みその奥底からわきあがってきました。

小学校・中学校の修学旅行は京都奈良ではなかったのですが。
大学の研修旅行で、京都奈良をぐるぐる回ったのですが。
その時に、薬師寺に来ていたのでした。
修学旅行ではなく、希望者のみの研修だったので、交通機関はすべて公共交通機関*3
お坊さんのお話を予約したわけでもなく。
大学の先生とあーでもない、こーでもないと言いながら、お寺を回っていたのですが。

私・さとりと相方は、お寺の考察チームではなかったため、このへんはさくっとしかまわっていなかった記憶です。
けども。
そんな短時間でも、一度見たものは、もう一度見ればよみがえるモノなんだなぁ……と、しみじみ思ったのでした。*4


さらに、公開期間があえば、平山郁夫の絵画も見れます。

玄奘三蔵なので、インドに向かう道すがらの風景画(たぶん、シルクロード?)……だと思います。
ですが。
この絵画も、見覚えがあります。まあ、平山郁夫の絵画はどの絵もふわっとした感じだけど。


さて。
いよいよ、「仏教と刀展」「噂の刀展」です。


ポスターの、「妖刀に乗っ取られたお坊さん」……は、実際に薬師寺にいらっしゃいます。

妖刀に乗っ取られたお坊さんが、展示の説明文も書かれたそうで……
とても楽しみにしていました。

中に入ると、あの時のにぎわいが嘘のように誰もいない。
まあ、月曜日だしね……
まあそれはともかく、さっそく順番に見ていきます。

簡単に感想など。
刀はほとんどが、ブレストシーブ所有のもの。要するに、全面バックアップですよ。すごい……


・沸と匂について
虎徹の2口で、それぞれ沸と匂が良く見える刀に、それぞれルーペがつけられてて。
沸と匂を拡大してよくわかるようにしてありました。
これは、大変ありがたかったです。
ケースが遠かったり、ガラスケースの中が広すぎて、遠視と近視と乱視と視力低下が甚だしいさとりは、どっちがどっちか頭ではわかってても、良く見えなくて、区別が付かないのです。

この虎徹の2口は、どちらかが真作、どちらかが贋作らしく。
柄で銘が隠してあり、クイズ形式で「どちらが贋作でしょう?」とパネル設置してありました。
ヒントまで書かれていたのに、正解がない……!(笑)*5

私なりに考えてみました。
ヒントは「真作は江戸時代はじめの作品だ」ってことですが。

[ヒント]
長曽祢興正は江戸時代前期の作者です。
偽物は江戸時代後期に作られた日本刀に長曾祢興正の銘が切られたものです。
江戸時代前期と後期では、150年以上の差があります。

下の刀が、切先がまるいんですよね。ふくらにゃーひば。*6
上の刀は、切先がのびてしゅっとしている(かっこよくてつよーい、を強調してると思うの)。
江戸時代始め頃は、どちらかというと戦乱寄りの作風だと思うので……上の方が本物だと思うのですが。
正解はわかりません!!(笑)*7


同田貫薙刀、刀
説明文に「同田貫は実践刀としての刀に重きを置いていたので、美術品としては中流以下。でも展示は、比較的きれいな刀を選んでみました」とありました。
堀川くんじゃないけど、実用性と美の両立って、難しいのねぇ……
ホント、言うのは簡単。
薙刀は本当にぴかぴかしていて、きれいでした。
銘もはっきり読めて「九州同田貫上野介」と確認することができて、感動!


・長谷部の短刀
私、この間から「国重」について大混乱していたのです。
備中水田国重の研磨プロジェクトのクラウドファンディングページに「とうらぶの長谷部が好きで、長谷部国重が好きだから参加します」という感じのコメントがついていて、「うーん、国重つながりだけど、長谷部って備州出身なの?」と思っていたんですが。
「長谷部」は、京都の地名(そこから流派の名前になった?)
「国重」は、よくある人名……って扱いですかね。
つまり、長谷部国重は、備中水田国重とは、なんら関係ない。
謎がひとつ解けました。長谷氏はシティボーイだったってことか……
ああでも、備中水田国重は、江戸時代では村正と並ぶくらい評価が高かった刀だそうですよ。って、長谷部関係ないですね、すみません。


・来派について
「来」とは、「異国 or 蝦夷から来た」という意味。
来国行は、来国俊の父親だったそうです。
私的には、異国という意味を推したい。たぶん「渡来人」と同じ意味だと思う。そうだったら私がおいしいというだけですが。


・妖刀村正について
実際に妖怪が住んでいたとかとりついていたとかそういうことではなく。徳川家にとって、不幸続きだったから「妖刀」。
なので、所有している各藩、銘をはぎ取ったり、つぶした上で違う刀工の名前を入れたり、違う文字を後から追加してみたり。
江戸時代の村正は踏んだり蹴ったりだったようです。。。


・東北の刀匠について&古備前正恒伯耆国安綱について
日本刀の源流についての展示に、伯耆国安綱の展示がありまして。
とてもおもしろい記載がありました。

大和朝廷が東北征伐に出た際に、東北軍に歯が立たなかったらしいのです。その差が、大和朝廷の軍は「剣」の兵団だったのに対し、東北の軍は「刀」を持っていたこと。
「剣」は強度が弱く、突いて攻撃するので、攻撃力が相対的に弱い。
「刀」は反っているので強度が強く、引いて切れるので、楽。つまり、攻撃力が強い。
なので、歯が立たなかったらしいのです。
ちなみに、東北が日本刀の源流だと考えられる根拠として、東北人だけが持っているウィルス(母子間で遺伝する)があげられていて。そのウィルスがペルシャのあたりのウィルスなのだそうです。
ペルシャには、海賊船の乗組員が振り回しているような「曲刀」があり。その構造が、日本刀に通じるのではないか、ということでした。
そして、大和朝廷は東北人が持っていた「刀」を作るために、東北の刀匠を拉致して、京都に住まわせたのだとか……

その拉致られた京都の刀匠の技を、伯耆国安綱が勉強していたとか。
そして、伯耆国安綱と古備前正恒は、技術交流・交換のために、ちょくちょくお泊まり会(と称していいのかはわかりませんが/笑)をして、作刀していたのだとか……!

ということはですね。
元々あった吉備国の作刀技術(朝鮮系の「剣」……要するに古墳とかに埋葬されてる感じのアレ)とは別の流れで、備前刀は発展を遂げたってことが言える、ってことですよね。
いやいや、個人的にこの流れは、本気でありがたかったです。
勉強になった。。「考えられる」レベルなのか「本当です」レベルなのか……もうちょっと掘り進める必要ありですね。


・仏教と刀について
仏教での刀の役割としては、「煩悩を断ち切る」、「仏様などを護衛するための武力」二つの面があったそうです。
仏像の中の仕込み刀とかあって、おもしろかったです!


ピックアップして書いたのに、すごく長くなってしまった……
奈良県が近かったら、もう一度行くのになあ……
とにかく、濃くて為になる展示でした。ありがとうございました!

ちなみに思ったのですが。
「仏教と刀展」と「噂の刀展」の説明文は、書いた人違うんだろうなぁ。
「噂の刀展」は……ブレストシーブ様のHPの文章と酷似してた(と思った)んだもの。
「(笑)」が2回も出てきて、学芸員さんが書いたまじめな文章とはまた違った、書き手と対話しているような説明文でした!


この後、西塔にも入って、薬師寺を後にしました。
そして。1日目に近鉄の中から見えた、平城京に行ってみたのですが。



なんと素敵な平城京(ただし休み)

こんなにだだっ広いのに(線路から1km以上離れているんですよ)、人っ子一人いないのを疑うべきだった……
資料館など軒並み休みだったので、写真を撮ることしかできませんでした……
警備員のおっちゃんに「何しにきたの」といわれるさとり……
いいんですよ、平城京が死ぬほど広いっていうのを、実際の足で歩いて確かめることに意義があるんです……(強がり)


ここに1400年前に建物があったんですよね……つはものどもが(以下略)


でも、この川だけは変わらずに流れてる……とかだといいな!!


朱雀門近鉄


この頃には雨が上がっていて。
とにかく、むしむしして……デロデロでした。
つか、この3日間、でろでろにしかなってない気がする……



奈良駅の「大仏うどん」が、とにかく大仏サイズで後悔した……


帰りはJR奈良駅から帰ります。青春18きっぷで、約6時間かかります……


というわけで。
またまた刀剣祭を満喫したさとりだったのでした!



ŒoŒ§’lƒ}ƒbƒv




※2016/5/5 追記※

噂の刀展に再訪した折、贋作クイズの正解は、財団のホームページに載ってるとパネルが設置されているのを見ました。
どうやら、相当数の問い合わせがあった模様。

というわけだそうです。

ですが。
問題は、上が沸だったか匂だったか、メモを忘れてしまったことです…

誰か…教えて…

Q&A:日本刀なんでもQ&A | 一般財団法人 日本刀剣博物技術研究財団

*1:写真は4/2に撮ったもの。

*2:これについては、チケット売場のお姉さまがたも迷っていらっしゃったようで……何度も売り子さんに「回覧があったけど、これで良かったねんな?!」と確認されていました。4/2は結局、約5000人が薬師寺に詰めかけたみたいで。この人数をさばきながら、素早い対応方法の変更を決めてくださったお坊さん他薬師寺の皆様、ありがとうございました!!

*3:それくらいで移動できる人数だったってことです。

*4:たぶん、実家を探せば当時引いたおみくじがあると思う。

*5:説明文に「(笑)」が多用してあったので、あおってみました。

*6:「ふくら」をこのように使ってはいけません。

*7:でも、4/6に光忠を見たら、切先が丸かったんだよね……「一般的に、戦乱の世は強そうな形をしている」ってだけで、個々の刀で違いはあるかもしれないけど……うわーん、本気で迷ってきた!! よくわかりません!!!