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47都道府県を全制覇する旅

023_奈良県/春の刀剣祭☆その1 YSJと大倶利伽羅大放出祭(2泊3日)


このたびは〜ぬさもとりあへず〜手向山〜もみぢのにしき〜神のまにまに*1
ぜんぜん春の句じゃないですが。
広島県人は意味も分からず記憶の底にこの歌が刷り込まれています。。。*2

それはともかく。

学校が春休みになるので*3 このタイミングで平日じゃないと行けないところに行っておきたい!
そういうわけで(どういうわけだ)手向山のあるとされる、奈良県へ修学旅行に行こうと計画を練っておりました。

ら!

TwitterのTLに、「4/2に大倶利伽羅が限定公開されるらしいよ! まだ確定じゃないけどほぼ確定だよ!」という、情報が流れてきまして。

さとり「キタコレ!!」

最終的に予定がぽしゃったとしても、いいや! 古墳とかお寺とか、見きれないほど素敵な場所てんこ盛りだしね奈良県!!
ここで予約押さえとかなきゃ、ホテルもバスも絶対に埋まっちゃう!!
というわけで。前回の大分県行きのバスに乗る前に、夜行バスのチケットを片道だけ押さえたのでした。
もう、夜行バスには乗らないと誓ったのにこれだよ……



今回は、近鉄の「大阪難波」駅からスタートです。


朝6時、今回はバスターミナルから駅まで迷うことなく到達し。*4
1時間くらいで、奈良県に入りました。


最寄りは、西ノ京駅です。


やってきました! 今回の会場となる、薬師寺です!!

受付は朝の8時半、周辺は住宅地らしい……と事前に見ていたので、どこかコーヒーでもしばいてから行こうと思っていたのですが。
ここまで見事に何もない!!
難波ですら、マクドもなかった!!
というわけで、7時半には西ノ京についてしまったのですが……

さとり「OH……もう人並んでる。というか、これ、福岡市博物館より多くないか?!」

さすがは、1日限定公開。
へし切長谷部は1ヶ月間公開だったもんね。


桜がきれい……でも、おわかりだろうか。もう並んでいる列が……!


というわけで、並びました。


並んでいたのは、入山チケットの列。
さらに、大倶利伽羅は、特別な展示のため会場は別になってます。そこにも並ばないといけない。
8時半のチケット受付開始から、30分くらいで、チケットを買い。
9時からの大倶利伽羅入場開始の列に並びました。
私は9時45分くらいに、会場に入ることができました。



チケット買ったどー!!


ここで、今回の特別展示の刀たちについて。今回は、

以上4口が特別公開になります。

特別限定展示

名物 大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)  国認定重要美術品
 伊達政宗徳川家康より江戸城の岩垣修築の功が有ったことで拝領(プレゼント)されたものです。受け渡しは、伊達2代当主 伊達忠宗(だて ただむね)と2代将軍 徳川秀忠(とくがわ ひでただ)で行われたとされています。
この刀は享保名物帳(きょうほうめいぶつちょう)に収載されている名物で、刀身の指裏(刀を腰に差したときに刀身の体に付く側)にある大きな龍の彫り物、倶利伽羅(くりから)があるので大倶利伽羅、作者が相州(神奈川県)の広光の作とされており、大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)と呼ばれています。広光は、刀工の中でも有名な正宗の子、あるいは養子、又は門人(弟子)とか、正宗の師匠の新藤五国光(しんとうごくにみつ)の子、正宗の養子である貞宗(さだむね)の子など諸説あります。いずれにしてもかなりの名人で出来が良い刀工です。製作年代は南北朝で、1350年頃です。(実際の年代測定はまだ行っていません。今後、成分分析とともに詳細を明らかにしていきたいと考えています。)

名物 鄙田青江恒次(ひなた あおえ つねつぐ)
 享保名物帳に収載の名刀です。製作年代は鎌倉中期で、1260年頃です。
天下五剣(てんかごけん)の一つ、日蓮上人護法(にちれん じょうにんごほう)の太刀「数珠丸(じゅずまる)」と同じ作者です。古い時代の青江ですので古青江(こあおえ)と呼ばれています。青江としては「にっかり青江」も有名ですが、「にっかり青江」は時代が少し新しい南北朝期の作で、中青江と呼ばれています。
なお現在では、備中ではなく備前の恒次ではないかという説もあります。また、鄙田(ひなた)青江は少し時代が若い後代の作では無いかと記載しているものもありますがこれは誤りです。(年代測定により古い時代のものであることが判明しています。)

鄙田(ひなた)とは
 越中富山鄙田半兵衛(えっちゅう とやま ひなた はんべえ)という人が持っていた、と享保名物帳に記載されています。
鄙田氏は名古屋城駿河大納言(するがだいなごん)忠長(徳川家康の孫)の家臣です。その後、豊前(ぶぜん)(大分県の一部と福岡県の一部)小倉城主 小笠原 忠真(たださね)の所有となり、娘が筑前(福岡県)福岡城黒田忠之(ただゆき)の子、光之(みつゆき)(黒田長政の孫、黒田勘兵衛の曾孫)に嫁いだときに婿引出物として光之に送っています。その後、黒田家蔵となりました。戦後、売却され黒田家を出ています。

三条吉家(さんじょうよしいえ)(黒田家伝来)
平安後期(1150年頃)の山城(京都)の刀工です。
三日月宗近(みかづきむねちか)」などの作者、三条小鍛治宗近(さんじょうこかじむねちか)の晩年銘(年老いてからの銘)とか隠し銘と言われます。宗近の子、弟子あるいは少し代が下がるなどの諸説有ります。
京都の三条に住んでいたため、三条吉家と呼ばれます。京都の三条や五条の刀鍛冶は、東北地方の舞草や宝寿の刀工が連れてこられ住み着いたともいわれており、西と東の鉄の融合が行われ日本刀の源流の1つになったのではないかとの説もあります。

号 般若丸(はんにゃまる) 伯耆国安綱(ほうきのくに やすつな)(黒田家伝来)  国認定重要美術品
平安時代伯耆国(ほうきのくに)の刀工です。
大原に住んでいたとの説がありますが誤りで、大原に住んでいたのは子の真守(さねもり)からです。また、姓を大原とするのも誤りです。姓は沢口、通称三郎太夫(さぶろうだゆう)です。沢口伯耆守安綱(さわぐち ほうきのかみ やすつな)が正式名で任官名を持ち、子の真守も沢口大原尉真守(さわぐち おおはらのじょう さねもり)といい同じく任官名を持ちます。
安綱の長兄は沢口丹波守権九朗(さわぐち たんばのかみ ごんくろう)(坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)の副官という説有り)といい、次兄の沢口五郎太夫(ごろうだゆう)と東北征伐に同行し、一時東北地方に滞在しました。子の真守は、桓武天皇の皇子が岩手県一関付近を中心に砦を築いてその地域を治めたため長期間東北地方に滞在し、後に大原へ戻りました。この説が正しいとすると、多くの古剣書に安綱の作刀時期が大同(806年〜810年)、弘仁(810年〜824年)頃としているのと一致します。1200年も前の作品ということになります。しかし、平安後期の作にしか見えないという解説も多くあります。
当研究所(財団)で数振りの在銘安綱を分析すると、同じ銘で有りながら200年もの差が出てきます。(まだ簡易分析なのではっきりとはいえません。今後、本格分析をする予定です。)いずれも重要刀剣、国認定重要美術品ですが900年以上前のものから約1100年前の年代まで出ます。なお、分析した数本とも鉄質がかなり異なる事も興味深いところです。本刀剣はさらに古そうです。(まだ簡易分析なのではっきりとは言えません。今後、本格的分析をする予定です。)
この時代、同じ銘を受け継ぐ習慣が無かったといわれますが、一部では親の名を継ぐ習慣が始まっていたのかなど興味が尽きません。
童子切安綱は国宝で名物でもありますが、源頼光丹波国大江山の酒顛童子という鬼(おそらく山賊)を切ったとされ、童子切りの名が付いたとされますが、頼光にそのような史実はないらしいとの説もあり、事実は不透明なままです。
江戸時代の本阿弥光悦押し形には、童子切安綱が明記されていますが、茎の形状が雉子股茎[きじももなかご(鳥の雉子の股のように急に細くなっている)]になっており、現在国宝の童子切とは異なる「?」とする説もあります。摩訶不思議であります。

いずれにしても日本刀の源流といわれる作者の一人であります。多くの名刀を作り出したのが安綱です。早い時期から非常に大切にされ御神体として奉納されたためか、健全な姿で保存されています。そのために外見上新しい時代の作品に見えるのかもしれません。

以上、ブレストシーブ様HPより、抜粋。


まずは、靴を脱ぎ、畳のお部屋へ。
こちらに三条吉家と鄙田青江恒次が展示されていました。
そして、畳のお部屋を抜けると靴を履き、次のホールのお部屋へ。
こちらに伯耆国安綱と大倶利伽羅広光が展示されていました。


ガラスケースに入れられた刀剣の元まで、えんえんと歩いていくスタイルです。
しかも、ガラスケースより手前にさらにロープが張られているので、近付くことはできませんでした。
その上、後が詰まっているので、たくさんいる警備員さんが「立ち止まらないでくださいー」と呼びかけている。
もうね、刃紋や地肌をじろじろみるどころじゃないですよ。
しかも私、近視と遠視と乱視があって、その上最近視力が落ちてめがねをかけても遠くが見えないのに……


さとり「うん、刀!」


で終了してしまいました……(涙)4口とも……(涙)(涙)


強いて言うなら、大倶利伽羅はちぐはぐな感じがしました。
元々は大太刀で1m近くあり、磨り上げられて今の形になったそうなのですが。
だからだと思うのですが、彫り物に対して、刀身が短い。しかも、茎(なかご)に彫り物が飛び出してる。
たぶん、大太刀として作られた頃にはちゃんとバランスを考えて、かっこいい場所に彫られていたんだと思うんですけど。今はむりくり磨り上げてしまってるもんだから……バランスがちぐはぐだと感じたんですよね。*5
はばきがついていたので、余計にそう感じたのかも。

倶利伽羅を前にして感動して涙していた女性もいたらしいのですが……
そういう人を前にしたら、こんなことは言えませんね(書いちゃったけど)
私、倶利伽羅龍の彫り物が入った刀や槍が好きなんだけど……*6 好きかどうか感じる前に、通り過ぎてしまいました……
お昼前なら空いてたらしいんだけど……朝一だったし、仕方ないですね。


というわけで。
入場から30分で、ホールから出てきました。
並んだ割には、10秒スルーで、あっという間でした。





以上、ブレストシーブ様HPより、抜粋。


その後、薬師寺で3月からやっている刀剣の展示「仏教と刀展」「噂の刀展」にも並んだのですが……
皆考えることは一緒ですね。こちらも、すごい列。
しかも、大倶利伽羅とは違って、立ち止まるな〜とか、案内をしてない。
こりゃ、今日ここだけ見られたらいい方かなとか思っていたのですが。


お坊さん「今、18度です。後ろに300人並んでます。このままだと確実に熱中症の人が出ちゃいます! なので、説明文は読まないでください。銘だけ確認して、刀を見てね! 健康祈願のお寺で熱中症で倒れられると、ネットでいじられちゃうんで! よろしくお願いします〜!」


なんと、立ち止まるなアナウンスを、お坊さんが入れてくださったのでした。
私は30分くらいで中に入れたのですが。
後ろを見ると、私が並び始めた場所よりも後ろに、さらに人の列……
ああこりゃ300人いるわなー……

よく見たら、小さな子とかも並んでて。
あやー、大変だなぁ……とか思っていたら。

お坊さん「あらー、かわいい子がいる。何歳? 何歳?」
女の子「5さい……」
お坊さん「よーし、高い高いしちゃうぞー!(女の子人見知りってたけど問答無用)うりゃーー! うりゃーー!! うりゃーーー!!! よしっ(呼ばれてさくっと去る)」
女の子「(ぽかーん)」

あのアナウンスをしてたお坊さんが、通りすがりに子供を問答無用で高い高いして、去っていったのでした。
いやいや、お坊さんって、何気にコミュ力高いよね。
説法するからかなぁ。*7


刀の展示は、盛りだくさんすぎて、立ち止まるな拝観では、頭の中に残りませんでした……元々この仏教と刀展を見るために奈良旅行を組んだのに……あんまりだわっ。
ま、こうなることは予測済みだったので、3日目にも薬師寺を入れてもいいように考えてはいたけどねっ。
ってことで。再訪決定したのでした。


いつもは御朱印は集めないのですが……あまりにも美しいので、いただいてしまいました。大倶利伽羅御朱印


秋穂先輩に見せびらかすためだけに、塔の写真を撮った。


本当は、こっちからお参りするのが正しいらしい……休ヶ岡八幡宮


春のトンネル! 今年はあまんちゅ的桜のトンネル成功です!!


というわけで。
薬師寺を後にしたのでした。


この後、東大寺で大仏を見たり、*8 正倉院を見に行ったらしまってたり、*9 おじいちゃんの家系である三条小鍛冶宗近本店に寄ったり……
奈良を満喫してきました。


なんか、東大寺ちょっと朽ちた……? かな?


でっかいのー。


冒頭の、手向山に関連している……? 手向山八幡宮


おじいちゃんち、こと、三条小鍛冶宗近本店。


ここは本当に三条の流れを組んでる、らしい。


浮かれて爪切りを買う。


春日神社。


奉納された灯籠が美しい。


そして、灯がともると、もっと美しい。


駆け足でお送りしましたが。
結構歩いて……いや、かなり歩いて……足が痛くて、宿に着いたらでろでろでした。



奈良と言えば、チョコボールだよねっ(自主規制)*10

 

つづく!

*1:『この度の旅は急なことでしたので、お供えする幣(ぬさ。五色の紙や布を細かく切ったもので、神前にまいて旅の安全を祈る)も用意できませんでした。せめて手向山の道祖神よ、この手向山の紅葉を、御心のままに、お納めください』という意味。菅原道真が詠んだ句。手向山は諸説あるが、山城国から大和国の途中にあった場所と考えられている。この句は宮滝御幸の時の歌で、吉野の宮滝から竜田川を越えて、河内に入り住吉神宮に参拝して京都へ戻って来るという、大規模な御幸だったらしいです。

*2:もみじ饅頭のCMの冒頭で、詠まれるのです……

*3:なぜか、1週間だけ春休みになったのです

*4:前回三重県に行った時は、駅がどこかわからずに、40〜50分くらい地下道をさまよった……あれ? もう5年前なのか……第2回目だったもんね。

*5:応仁の乱以降は、馬上での戦いから、歩兵+銃に戦闘スタイルが変わってしまったため、長い刀は軒並み磨り上げられてしまった……大倶利伽羅の持ち主、ブレストシーブ代表理事長澤口希能先生のお話によると、『刀を短くして使うと、そこに錆ができる。前からあった錆と新しい錆を測定器にかけた結果、大倶利伽羅は480年前くらいに短くなったことがわかった』、とのこと。

*6:日本号はいいぞ

*7:薬師寺のお坊さんの名言集についてはネットのまとめがすごい。ちなみに、薬師寺は檀家を持たない修行のためのお寺なので、修復・補修(薬師寺ができた当時の建物は東塔のみ、それも現在補修工事中)のための財源を確保するために、おもてなしや話術に長けているのだとか。修学旅行で行ったらその話術に出会えるらしいのだけど、私、小学校も中学校も修学旅行九州だったんだよなぁ…転校しなければ中学校は京都奈良の予定だったのに…残念!! ちなみに、『USJではなく、YSJ(薬師寺)! 一番のアトラクションはお坊さんです!』も、お坊さんの名言。

*8:実は2回目です

*9:平日しか公開してない。事前に調べてたのに、すっかり忘れてた……

*10:宮島もだよ!