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47都道府県を全制覇する旅

018_茨城県/黄門様が長船さんを欲しがったので、見に行ってみた。あと断じてブームには乗ってないから! の旅(2泊3日)

さて。2日目です。
本日は刀剣祭。燭台切光忠と、御手杵のレプリカを見に行きます。


↓1日目
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最初は、偕楽園横「徳川ミュージアム」へ、長船さんに会いに行きます。

まず軽く*1 長船さんこと、燭台切光忠についてですが。
備前国長船 光忠作の太刀です。今でいう「岡山県瀬戸内市長船町」のあたりです。このへんは、前回の岡山県版を参考にしていただくとして。


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元々岡山県は良質な鉄がとれたため、平安時代以前より備前や備中で刀がよく作られていたようです。
鎌倉時代、吉井川の付近に山陽道(街道)があって、福岡の市という市がたっており、非常に栄えていたようです。*2
その福岡で「備前国福岡」と呼ばれる刀鍛冶が活躍していましたが、やがて廃れていきます。福岡一文字*3 の一派に代わり、長船派が台頭してきます。
この長船派の事実上の祖が「光忠」であり、燭台切光忠はこの「光忠」の作なのであります。*4
もちろん燭台切光忠だけでなくて、高麗鶴光忠*5 など、光忠作の刀剣はたくさんあります。織田信長光忠作の刀剣を好んでいたそうですね。

燭台切光忠は、織田信長豊臣秀吉→伊達正宗と持ち主が変わります。
信長から秀吉に伝わり、その後秀吉に御座船を献上した伊達正宗に下賜したのだそうです。
そして、この伊達正宗が、粗相のあった家臣を成敗しようとしたところ、家臣が燭台の後ろに隠れてしまい、その燭台ごと切り捨てた、という逸話があり。そこから「燭台切光忠」と呼ばれるようになったとのことです。

正宗の邸宅にてその逸話を聞いた幼い頃の黄門様が、正宗に「ちょーだいちょーだい」とおねだりしたのだそうです。
正宗は一度は断ったらしいのですが、最後は結局黄門様のおねだりに負け、帰り際に譲り渡した……らしい。*6
ま、幼い頃から黄門様*7 ではありませんが、光圀公、やるな……

それで、水戸に長船さんがある、というわけです。

長らく関東大震災で焼けて行方不明とされてきましたが、今年の頭、「蔵から出てきた!」と話題になり、今回の徳川ミュージアムでの展示に至った……というわけです。


ええ、前置きが長くなりましたが、ぜんっぜん、ブームに乗っ取ってなんかないですからね!*8


水戸のバスはまだICカードが導入されていないため*9 現金で乗る必要がありますが。
1日フリーきっぷが茨城交通より出ており、偕楽園往復料金よりも少し安いとのことだったので、せっかくだからと買いました。


駅前のバスセンターのはしっこに、窓口があり、そこで買えます。

10時開館というので、9時半のバスに乗り勇んで行ったのですが……


門すら開いてませんでした……


まじですかよ。
雨降ってるし、どこか時間つぶせるようなところもないし、人っ子一人いないし、しかも「閉館」って札下がってるし……
まさかここまで来て、今日は休みですってことはないよね?*10
9時55分まで誰もいないので、本気で不安でした。

が。

5分前に人が集まりだし*11 10時ぴったりに警備員さんが門を開いて、無事中に入れました。


きたぜ! 徳川ミュージアム!!


徳川ミュージアムは、水戸徳川家由来の史料や家康公遺品、歴代藩主のお宝などが展示されている博物館です。
水戸徳川家といえば、二代目の光圀公が有名なので、どっちかというと黄門様関係の紹介・展示が多いですね。
それに、記憶にも残りやすい(テレビドラマの影響もありますが)。
ドラマでは青森から鹿児島まで全国津々浦々出かけている黄門様ですが、実は領地内と江戸の往復がメインで、旅の最遠記録は鎌倉までだった(大叔母様の墓参りだそう)、とか。
ドラマでは好々爺なイメージだけど、実際は「武士には厳しく農民には優しく」がポリシーで、時代が戦国だったら第一線で活躍できるくらいの武将だった、とか。*12
助さんと格さんにはモデルがいるけど、二人は実際のところ父子くらい年齢が離れているとか。

「結構イメージ違うんですよ〜」

とは、ガイドのおじさん、談。
まあ、テレビはドラマだからね。テレビ的にお約束も必要だろうし、シナリオ的な設定改竄も必要だろうし。
それにしても、ドラマの黄門様、今(2015年現在)もう5代目……どころか、最終回あって終わったらしいですよ!?*13
石坂浩二は4代目なんですって。知らなかった。ついこないだ「石坂浩二似合わねぇ!」とか思ってたのに、もう過去の人ですってよ!!
年はとりたくないもんだわ〜。*14


さて。
問題の燭台切光忠ですが。
展示室の奥、普段は光圀公の服とかが展示してあるのを撤去して。そのかわりに、焼けた刀剣を二振、展示してありました。
すらっとした真っ黒の姿に、ハバキが溶けてこびりついた金色がきれいにきらめいています。
武庫刀纂も一緒に展示されてありました。

鉄が焼けたら、こんなんになるのねぇ。
磨いて鏡のようになるのも不思議だけど、それが焼けてこんなになるのも不思議。
鉄板が黒いのと同じことなのかなぁ。
それとも、玉鋼の色に戻っただけ、ってことなのかな。

常設ではないので、今回の展示の後、蔵に戻るのだそうです。*15



燭台切光忠の解説書を手に入れた!!


さて。
ここからは青春18きっぷを使って、結城市を目指します。


友部駅常磐線から水戸線へ乗り換えます。


一時間ほどかけて、結城駅へやってきました!


結城紬で有名な(私は知らなかったです……スミマセン)、結城市でございます。
御手杵は、ここがまだ下総国だった頃、戦国大名結城晴朝駿河国の刀鍛冶「義助」に作成を依頼した槍です。
蜻蛉切日本号とともに「天下三名槍」のひとつとして数えられている有名な槍で、鞘に収めた姿が「杵」に似ていたことから「御手杵」と呼ばれたそうです。
結城家康*16が受け継ぎ、その後上野国松平家に伝来したが、その後第二次世界大戦中に焼失しました。


……ので、今回見に行くのは「レプリカ」です。


静岡の「御手杵を復活させる会」*17 のみなさまが、史料を基に設計事務所に設計を依頼、地元の鉄工所がその設計図を元に再現したというエピソードの元に生まれたレプリカです。
なので、広島城日本号みたいに、刀匠の手による品ではありませんが。
その後、結城晴朝が依頼したというエピソードを再現するかのように、結城市に寄贈され、展示に至った、とのことです。

何故御手杵なのか。
それは、さとりが御手杵のダメ子さ加減が好きだから。
正直長船派以外は守備範囲外です。

……もう完全にブームに乗ってますけど、何か。
(開き直り)



素敵な町並みなのに、雨がすごくてそれどころじゃない……


結城蔵美館へやってきました! ここにぎねさんが……!


どうやら結城は「蔵」を推しているらしく。
ここにくる前も、あちこちに、重厚な雰囲気を持った蔵がいくつもありました。
この美術館も「蔵」ですね。

入ってすぐはギャラリーになっていて、奥が展示室になっています。
1Fは陸軍の展示(その昔、なにやら演習があったらしい)、2Fが御手杵の展示となっていました。

ギャラリーの「金魚とヨーヨー」がモチーフのきれいな絵に目を奪われながら、2Fに向かうと……
いきなりぎねさんの立て看が……!!
その奥に、御手杵(レプリカ)と、結城晴朝肖像画の掛け軸(のプリントアウト)と、鞘が……!

OH……めっちゃブームに乗ってる……

実際、ここに来るのは3回目だという女子4人が、きゃっきゃうふふしながらぎねさんを見つつ語っている……
一人で来てぎねさんをガン見している女子もいる。
みんな、ブームに乗ってるよ!


実際のぎねさんは、全長4メートルなので、ゲーム内のぎねさんみたいに振り回すのはかなりしんどいでしょうね。
実際、参勤交代の先頭にシンボル的に運ばれたり、戦場の馬用目印として使われたり、というのが多かったようですし。
レプリカとはいえ、鞘だけで私の身長と同じくらいの長さがあったし、しかもそれが杵みたいな形をしてて、熊の毛皮が使われてて、だと、重さも結構あったんでしょうね。
そりゃぎねさんも「重くなきゃそれでいい」って言いますよ。

槍の刃は、三角柱みたいな形をしているので、切るよりは差す、になっちゃうんでしょうね。
刀研師が研いだ訳じゃなさそうなので、刃もあまりぴかぴかではないし、鍔の根本の部分に溶接したような痕があったし、やっぱり「鉄工所作」なんだなぁと思いました。

それでも、レプリカ寄贈のエピソードとかを見ると、心がほっこりする。
大人5人がかりで、ぎねさんを抱えて笑ってる写真が飾ってあったり。
そうか、もう刀は「美術品」なんだなぁ……



御手杵の木版版画、ゲットだぜ!


買ったとき、管理をされている職員さんと、少しお話ししました。
広島から来たと言うと、
「台風の中大変だったでしょう? もうすぐ稲刈りなのに、去年*18 といい今年といい、大変ですね」
と、逆に心配されてしまいました……
ありがとうございます。
まさか、この2日後、あんなこと*19 になるとは、この時は思いもしませんでした。


そう。
実は月曜日の早朝に、台風が発生し、日本に近付いていたのです。
日曜日の計画時には「金曜日に台風がきそうだからぎりぎり大丈夫!」と思って、そのまま予約したのに。
なんとその晩に、新たな台風が生まれてしまったのです。



実は明日の水曜日、日本上陸の予報が……!


さとりはこの時、迷っていました。
このままで行くと、飛行機が飛ぶルートに台風が直撃する……果たしてLCCは無事飛んでくれるのか?
LCCって1台の飛行機をあちこちの路線で使いまわすから、1路線が欠航すると芋蔓式に全路線が欠航する、とかいうし……
欠航したら皆がホテルを探すだろうし、今のウチから成田周辺のホテルを予約した方がいいのか???

「ま、今晩の台風の位置次第で決めますか……」

とりあえず水戸市まで戻ることにしました。
が、水戸線は1時間に1本とかのレベルなので、駅前の「コモディイイダ」さんで時間をつぶすことに。



あれ? 閉まってる……??


入ってみたら、店内BGMがかかってるので、営業してることは営業してるみたい。
ただ、空きテナントが多くて、そこの照明を切ってるため……いや、廊下の照明も切ってるし、かなり暗い。
商業施設としてこれはいかがなものか。
購買意欲がかき立てられるわけがない。やる気ないでしょ、これ。

……と思っていたら。
その原因がわかった。ここの3Fは市役所の出張所になってるからだ。
お役所仕事で節電してるんだろうな、これ。

いやいや、いくらなんでも、これはないよね。
せめて、中央の吹抜け部分くらいは、照明をつけようよ、必要経費でしょ。

とまあ、いろんなことを思いましたが。
コモディイイダさんで、いろいろ買いました。



三角シベリア。カステラケーキの間にようかんがはさんであるという、血糖値を上げるためのアイテム。


なつかしのヨーグル、巨大版。


あと、揚げ物がどうしても食べたくなったので、フライを買った。
……のは良いけどソースがなかったので、水戸駅前のコンビニで、中濃ソース(ミニマム)を買いました。



野菜ジュースとの比較。ミニマム。


広島に帰った後、これと同じものを売ってるかチェックしましたが、なかったので。
これは関東限定、なんだろうな。



あーしかし、これどうすんの。


★3日目に続く★


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*1:ぜんぜん軽くない

*2:今でも長船町に福岡の市の跡地があります。私はまだ行ったことがありませんが。

*3:銘を「一」とだけ刻んだことからこう呼ばれるそうです

*4:長船さんが戦う前の口上で「長船派の祖、光忠が一振り、参る!」とかっこよく叫びます。

*5:小早川隆景が所持していた。朝鮮で戦ったときに活躍していたらしい。当時朝鮮は「高麗」と呼ばれていたそうです。

*6:このエピソードが、武庫刀纂という水戸徳川家所持の刀剣を生産地別にまとめた書に残されていたそうです。

*7:黄門というのは役職名らしいですね。

*8:強がり。

*9:12月から導入だそうで、少し早かった……ちなみに関東鉄道のバスは10月からSuicaPasumoが使えるようになるとのことで、こちらもやっぱり少し早かった……

*10:月曜日が休みだったことはHPで確認したけど。これ、看板、昨日のままってことでいいんだよね?

*11:みんなタクシーで来た。リッチだなぁ……

*12:実は「癒着していた藩の重役を、歌舞伎の幕間の間に暗殺した」とか、結構血なまぐさい。

*13:パネルや台本、衣装も展示してあります。

*14:ちなみに、私は3代目で育った子です。写真を見て一番しっくりくるのが3代目。年がバレる……

*15:ガイドのおじさん、談。ちなみに2015/10/10〜12/13は、羽田空港の「ディスカバリーミュージアム」で企画展として展示されるようです。関東のみなさま、旅行中のみなさま、是非ハバキが溶けて中二風にかっこよくなった長船さんをご覧ください!

*16:徳川家康の実子で晴朝の養子となった

*17:という名前だったかどうかは忘れました

*18:広島市八木の豪雨災害

*19:鬼怒川決壊